【束の間の今を生きる私…としてweb用に
いまづかよしのの名は生まれた】
俳句の話
(1995.1.21)
藤田湘子主宰の「鷹」に入会して四年が過ぎた。
会員同人ひっくるめての主宰選は厳しい。同人といえども、気を抜けば、一句欄に落ちる。
毎月の投句が、湘子先生との真剣勝負だ。
その重圧から逃れるために 私は山に登るのかもしれない。
しかし苦しい分だけ、巻頭ページに載った時の喜びは、このオバサンをして家中を踊り回らせる(もっとも、そういうことは奇跡であって 今までに一度しかない!)
先生との出会いは、昭和六十三年のNHK学園全国俳句大会で、湘子特選を頂いたことによる。
そのころの私は、投句すれば全句掲載される同人として、東京のある俳誌に所属していた。
「鷹」入会のきっかけは、平成二年の角川俳句賞だ。賞を出す側の角川社長が、自ら受賞した「授賞」と「受賞」のややこしい話。
この時、審査員の中でただ一人「筋が通らない」と反対したのが湘子先生だったのである。
その意気に感じた私は即日入会の手紙を出した。
以来、毎月四苦八苦して、六句の投句をし、その都度返り討ちにあっている。
バッサリ切られるのも快感があって、
”かなかなや師弟の道も恋に似る”
という瀧春一の句を地で行くような気がする。
いつも思うのだけれど、田舎のオバサンの私が、どんなに頑張っても、何ほどのことができよう。
日々のささやかな喜び、悲しみ、驚きなど、心の起伏に口をついて出る”つぶやき”が私の俳句。
昨年の一月、湘子先生を初めて宇和島に迎えることになった朝は、大変な霜だった。
遠来の客のもてなしに、早咲きのレンゲを摘もうと棚田を歩いた。
午後の句会の席上、ピンクの可憐な花束は、南国宇和島のイメージを膨らませてくれた。
そして、私の”つぶやき”も、湘子選の栄誉を得たのである。
”まろうどに寒の紫雲英(げんげ)の咲きにけり”
(宇和島新聞連載当時の文から)
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