貝砂のささやく島
王朝の中頃、伊予へ海賊を追討に来て、海賊の首領に収まった男がいる。
本拠地は宇和海の日振島。豊後水道を背にした絶好の海城である。
男の名は藤原純友という。
日振島は、喜路、明海(あこ)、能登の三港よりなる細長い連なりで、
所によってはコンクリートの橋でつながったり、防波堤でもって、島裏の怒涛が入り江に貫入しないよう食い止めてあったりして、地形からして神出鬼没だと思う。
三十年も前になるだろうか、男のロマンの香をしのびに、小学生の娘二人を連れて片道3時間近く、沿岸船に揺られて行った。
下調べもせずどこへ降りて良いのやら、それさえ分からず出掛けたのだから、私にも海の男の血潮が流れているに相違ない。
船長の判断で降ろされたのは、小学校のある中心地、明海の桟橋だった。案内板を頼りに唯一純友の頃のものだという井戸をのぞき、碑がある山腹に登った。
名を刻んだ石柱が立っているだけの棚地だったけれど、夏の海はキラキラと眩しく眼を射た。
かつて随所に見張りが立ち、その眼も海光に灼かれ、夜の闇に吸われたであろう。
薮蚊の攻撃に堪らず早々退散して、集落を見て歩くことにした。
よろず屋ふうの小店が農協の売店で、店はそれきりである。桟橋の近くに民宿が一軒、ここで船の切符を売る。
郵便局,診療所、市役所の支所、漁業組合、小学校。
少し離れて海水を真水に変える先端技術の処理施設があった。
人家をはずれると、山と海の合間の細道が山ひだなりにカーブして続き、
天草が干され、入り江は波も立てず、
足下の潮に青紫色の熱帯魚やカワハギ,鯛の子が舞い、日の斑が揺れる。
子供用の釣竿を一本持参していたのは幸運であった。
その辺にいくらでもいる巻貝を砕いて針に付け、投げ込んでみたらベラがかかる。
下顎やら目やらに引掛かって上がってくる。一群れらしい六,七尾でお終い。
流木を焚いて焼き魚にして家に持ち帰った。シャム猫のクッキーモンスターがフガフガ貪り食ったから、よほど旨かったとみえる。
近年、県のレクリェーション開発が進み、島には各種の施設が造られ、日振航路も高速艇になって、50分たらずで行けるようになった。
能登港外の沖ノ島は、ハマユウが群生し、ピンクの貝砂を引くときの波の音は、平安の雅を囁いてくれる。
そこで銀河を仰ぎつつ宴を張るのだと、山男だった能登の喫茶店主が誇らしげに語ってくれた。
(写真は沖ノ島のハマユウの花)
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