夏の思い出 「大キレット」
 

 日中の日差しは強いけれど、風も雲も秋の軽さを感じるようになった。
空の深い青を見ながら、楽しかった夏の思い出にひたる。

 この夏、念願の大キレットを歩いた。
北アルプスの槍ヶ岳から北穂高岳への縦走路に、大きく切れ込んだ岩稜の連なりがある。
登山地図に「難路」と注意書きされたこの痩せ尾根こそ
「大キレット」と呼ばれる魅力的でスリリングなルートである。

 パートナーの文子さんは「昔、一度歩いたけど、大したところじゃなかったわよ」と言うので、
私も岩場は好きだし、去年二人で剣岳も登ってきたし、軽い気持ちで槍、穂高縦走に出かけた。

 台風通過の直後に出発して、雨の上高地から槍沢ロッジまで入る。
天気予報は最悪で、翌日は大雨注意報が出ていた。
「大キレットさえ降らなければ大丈夫よ」と楽観的な私。

 うれしいことに予報は見事にはずれて、曇り空ながら涼しく槍沢を登り、
槍ヶ岳の山頂に立ち、Vサインの写真など撮る。
その日は南岳小屋に泊り、満天の星に感動した。

 三日目、いよいよ大キレットである。南岳から一気に岩場を下降し、
ギザギザの尾根を上ったり下ったりの三時間。
最大の悪場「飛騨泣き」では声も出ない私なのに、
文子さんは「飛騨泣きだねえ」と盛んに感嘆の連続。
底無しの岩壁にへばりついて、やっと通過した。
しかし不思議なもので、怖ければ怖いほどそれが快感になってくる。

 最終日、穂高は快晴。槍もジャンダルムも青空に美しく浮かんでいた。
大キレットの岩の隙間に咲いていたシコタンソウの白い花を、私は生涯忘れることはないだろう。

            (写真は大キレットの中心部)          
                                               (1997年9月記)  

 

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